安田隆夫氏に感謝ブログ ~ドン・キホーテ安田隆夫会長をガチ尊敬~

私は安田隆夫。そう、あの有名なドン・キホーテ会長である安田隆夫氏と同姓同名。なので、ドンキを影ながらPUSHします!

トマトについて考える

今日はトマト料理が食べたくなってホールトマトを買ってきました!
美味しそうでしょーこれ!
テンションマックスあがりますねー!うひょー!

じゃーん!
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いやー、このトマト!
イタリアの太陽と大地って言われると、それだけで美味しい気がするのは僕だけでしょうか。
いや、きっと言葉の魔術で皆さんもそう思っているはず。
それはきっと間違いない。

でも、そもそもトマトってどこが一番有名なのか皆さん知ってます?
実は僕も知らない(笑)
この商品からするに「イタリア」なんでしょうか。

ってことで、今日もやってきましたよ!
調査隊!

<引用元>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88

【トマト】
トマト(学名:Solanumlycopersicum)は、南アメリカアンデス山脈高原地帯(ペルー、エクアドル)原産のナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。多年生植物で、果実は食用として利用される。緑黄色野菜の一種である。日本語では唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)、珊瑚樹茄子(さんごじゅなす)などの異称もある。

【栽培の歴史】
ヨーロッパへは、1519年にメキシコへ上陸したエルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。当時トマトは有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く最初は観賞用とされたが、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在のかたちとなった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは18世紀のことである。一方、北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されなかった。1820年ニュージャージー州のロバート・ギボン・ジョンソンは、町の裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされるが、詳しい資料は残っていない。
1793年当時のアメリカでは輸入の際に果物への関税がなく、野菜には関税が課せられていた。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないように「果物」と主張。これに対して農務省の役人は「野菜」だと言い張った。両者は一歩も譲らず、さらに果物派には植物学者も加わり、論争はエスカレート。とうとう、1893年に米国最高裁判所の判決を仰ぐことになってしまった。判決は「野菜」。裁判長はずいぶん悩んだと思われ、判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていた(英語版記事)。なお、裁判当時の記録としてローラ・インガルス・ワイルダーの小説『大草原の小さな家』では、トマトにクリームと砂糖をかけて食べる記載がある。なお、Pocket Oxford English Dictionary(2005年版)のtomatoは’a glossy red fruit, eaten as a vegetable or in salads.’とどちらとも取れる記述になっている。
日本には江戸時代の寛文年間頃に長崎へ伝わったのが最初とされる。貝原益軒の『大和本草』にはトマトについての記述があり、その頃までには伝播していたものと考えられている。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」と呼ばれていた。中国では、現在も「西紅柿」(xīhóngshì)と呼んでいる。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからである。
トマトは米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物である。1994年5月、FDA(連邦食品医薬品局)が承認したFlavrSavrというトマトで、長期間の保存に適した品種であった。ただし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格に設定されたため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。


いやー、全然イタリア起源じゃなかったですね(笑)
まさかペルーやエクアドルだったなんて・・・(笑)

でも、日本に入ってきたのが昭和って凄いですね。
やはり文明開化というのはこういう事なのですねー!
いやー、トマトひとつ取っても勉強になるなー。

ドンキのPOPにここまでびっしり書いてたら面白いのに(笑)


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