安田隆夫氏に感謝ブログ ~ドン・キホーテ安田隆夫会長をガチ尊敬~

私は安田隆夫。そう、あの有名なドン・キホーテ会長である安田隆夫氏と同姓同名。なので、ドンキを影ながらPUSHします!

季節外れの〜花火〜♩

今年のやり残しがあるんです。
皆さんはやったのかなー?
やり残しって言うのは「花火」なんですけど、皆さん今年はどうしました?
花火大会に行った人も、近くの公園で花火した人も沢山居ると思います。
だけど、僕の夏はまだ終わっていないんだーーーーーーーー!
だって花火やってないんだもーーーーーーーん!
ってことで、前に買っといた花火を友人達とする事にしました!
 
じゃーん!
 
イメージ 1
いやー!
写真ボケてるぅぅぅぅ〜(笑)
でも、これくらいのサイズないと物足りないですよねー。
 
あ、そうだそうだ!
皆さん、あの花火で有名な
「たーまやー♩」
のかけ声ですけど、あれが何か知ってますか?
これ、知らない人多いのでちょっと書いておきますね。
 
<花火のあのかけ声の代名詞「玉屋」の悲しい事実>
打ち上げ花火の掛け声といえば「たまや?(玉屋)」に「かぎや?(鍵屋)」。
このかけ声は両国川開きで人気を競った花火師の屋号に由来するのはご存知の方も多いのでは。
そもそも玉屋は鍵屋で番頭を務めていた腕のよい職人・清七が独立し、暖簾分けしてもらった分家。屋号も、鍵屋が守護神としていた鍵屋稲荷の祠に祀られている狐の一方が「鍵」を、もう一方が擬宝珠の「玉」を持っていることに由来する。以降、1810年から両国の川開きで鍵屋とともに花火製作を担い、「玉やだと 又またぬかすわと 鍵や云ひ」と川柳で詠まれた通り、鍵屋をしのぐほどの人気を博したのだが……実は、1843年に出してしまった火事が原因で玉屋は江戸を追われることに。
こうして人気花火師だった玉屋は、かけ声は残れど一代限りで失脚してしまっているのだ。
ちなみに鍵屋は、現在にいたるまで15代に渡り続いている。

いやー、悲しい・・・
なんてこった。せっかく貰った暖簾なのに・・・
っていう実は切ないストーリーが残されてるんです。
まぁ死してなお名を残すってのは凄い事なのかもしれませんけどね。
まぁ、余談はこれくらいにして、それではこれから花火に行って参ります!
はい!たーまやーーーーーー♩
 
 
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