安田隆夫氏に感謝ブログ ~ドン・キホーテ安田隆夫会長をガチ尊敬~

私は安田隆夫。そう、あの有名なドン・キホーテ会長である安田隆夫氏と同姓同名。なので、ドンキを影ながらPUSHします!

アントニオ猪木さんの話・・・

これ有名な話かもしれないんですが、ある商品を日本に定着させたのが、
あの有名な「アントニオ猪木」だったりするんです!

その商品とはコチラなんです!

じゃーん!
イメージ 1
 
そう、タバスコなんです!
いやー、ビックリしちゃいますよねコレ!
まさか、タバスコを日本に定着させた?
いやいや、ウソでしょ?

って思ってしまいますよね(笑)

てことで、今日も調査隊が調べてきましたよー。

<引用元>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B3

【タバスコ】
タバスコ(Tabasco、タバスコソース)は、メキシコ・タバスコ州原産のキダチトウガラシの一品種チレ・タバスコ(タバスコペッパー)を使った辛味調味料である。アメリカ合衆国ルイジアナ州エイヴァリーアイランド(英語版)に本社を置くマキルヘニー社 (Mcilhenny Company) の創業者が19世紀後半に考案し現在も同社が商標権を持つ(日本における商標登録番号は第1002001号ほか全6件)アメリカの調味料である。

【特長と製法】
赤い色をした製品が多く、ぴりっとした刺激的な辛さが特徴で、世界的にホットソースの代名詞となっている。調味料として各種料理に使用される。
原材料は、タバスコペッパー、岩塩、穀物酢で、まるごとすり潰した唐辛子(辛さは約5万スコヴィル値)をオーク樽で3年間長期熟成する。蓋をした樽の上に塩をかぶせることで発酵した液体が塩に染みこみその結果、塩が固まることで樽を密閉する。熟成の後、酢を加え辛さを4000スコヴィルほどに薄め最大1ヶ月ほど寝かせることでタバスコが完成する。製造を開始した1868年以来基本的な製法は変わっていない。

【歴史】
マキルヘニー社の創業者は、ニューオーリンズで銀行家をしていたメリーランド州出身のエドムンド・マキルヘニー(英語版)(1815年生-1890年没)である。スコットランド人とアイルランド人の血を引く、ひげを蓄えた美食家だったといわれている。
南北戦争の頃、エドムンドはメキシコのタバスコ州から帰還した南軍兵士(フレンド・グリーソンと考えられている)から唐辛子の種を入手したとされる。1862年ニューオーリンズ北軍によって陥落したため、マキルヘニー一家は岩塩の産地として有名だったエイヴァリーアイランドへと移り住み、そこで唐辛子の種をまいたという。ところが、南軍に塩を供給していた関係で北軍の攻撃にさらされることになり、さらにテキサス州へと逃れた。終戦後の1865年に戻ってきたとき、すっかり荒れ果てていた土地に、一株のタバスコペッパーが生えているのを見つける。
エドムンド・マキルヘニーはこの時、自分自身の大好物である生牡蠣のソ-スを作ることを思いつき、タバスコペッパーの果実をとって潰し、出てきた汁に蒸留酢と塩を混ぜたとされる。それから3年後の1868年、このソースを香水の空き瓶に詰め、卸売業者を通じて350本売った。そのときの香水の瓶は、今日のタバスコソースの瓶の形に受け継がれている。1870年に、彼は自ら考案したタバスコソースの製法を特許登録した。現在では全世界100カ国以上で販売されている。
タバスコが最初に日本に入ってきたのは昭和20年代といわれる。その後、喫茶店やレストランなどに置かれる様になると一般にも認知される。プロレスラーのアントニオ猪木が経営していたアントントレーディング社が1970年代に代理店契約を結び日本人にその味を定着させた。なお猪木は初代・タイガーマスク佐山聡)とともにCM出演の経験がある。


凄くないですか?
Wikipediaに載っちゃってるし(笑)

いやー、「元気ですかー?」でおなじみですが、全然こんな事知らないですよね皆さん。
流石いろんな事をやっているんですねー。

ちなみに、その猪木が持って来た商品はドンキで手に入れましたけどね(笑)
この雑学と一緒に・・・笑


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